「楽譜を選ぶ」  オペラの制作現場からーその14

 ある演目のオペラ上演を計画する際、どのプロダクションでも同じ楽譜で上演するわけではありません。楽譜には色々な版が存在するからです。今回はその裏話をお話ししましょう。そんなの常識だと仰せのファンの方は、しばらく目をつぶっていてください。
 かつては、オペラの興行師が作曲家に依頼してオペラを作ることが多かったので、例え初日を開けても不評であればどんどん変更を要求し、人気歌手の技巧に合わせてアリアを作曲させて挿入したりと、随分生臭い話しがあったようです。時代や劇場の性格に応じて、セリフを入れた版とレチタティーヴォといわれる歌唱でアリアをつないでいく版が両立しているケースもあります。さしずめ「カルメン」はこのケースで、パリのオペラ・コミークでの上演を前提に作曲したビゼーのオリジナル版は当然セリフ入りのものでしたが当初不評でした。初演後まもなくビゼーは死んでしまって、代わりにギローがレチタティーヴォ版を作り大ヒットしたことはよく知られています。
 古いオペラでは、スコアが部分的に欠落したり残っていなかったりするケースがあり、後世の研究によって補完されたり、前記のような度重なる改作の中から決定版として出版したりすることも稀ではありません。複数の版があると、どれを選ぶかが問題となり、制作する側のこだわりとなります。
 一方、作曲された時代のオペラの上演環境もあって、4時間を超える長大な曲も多く存在します。現在は、途中カットして休憩込みで3時間半程度にすることが広く行われていますが、一方で無削除版と銘打って全曲完全上演を目指す動きもあり、観客にとって選択の幅は広がっています。このようなことが行われるのは、オペラは完全無欠の音楽というより、歌と音楽の力によって人間ドラマをはるかに説得力のあるものに変えていくという性格があるからですし、前述のように色々な版が並列で存在するという事情もあるのです。
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                  撮影 鍔山英次
 二期会ではモーツァルト年の2006年に日生劇場で「コジ・ファン・トゥッテ」(上記写真参照)を上演しましたが、この時は通常はカットされることの多いフェランドのアリアを演奏したのです。姉妹の恋人が変装して、それぞれ別の方を口説くという筋で、このシーンは最後まで抵抗していた姉のフィオリディリージがこのテノール泣かせの長大なアリアを聴く内に遂に陥落するという部分で、そのアリアを聴きながら彼女が悩みに悩む様子が演出の宮本亜門によって活写され、ドラマとして圧倒的な説得力を持ったことを思い出します。(常務理事 中山欽吾)

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