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ピックアップアーティスト Vol.42 加耒 徹の今

Interview | インタビュー

取材・文 = 高坂はる香

 ドイツ・バロックからロシアやイギリスの歌曲まで、幅広いレパートリーを得意とするバリトンの加耒徹さん。オペラの舞台でも活躍するほか、最近は、ファミリー向けの物語付きクラシックコンサート日生劇場での「アラジンと魔法のヴァイオリン」で芝居にも挑戦した。
 また福岡に生まれ育った彼は、地元のサッカークラブ、アビスパ福岡の熱心なサポーター。昨年ついに、ピッチでチームの歌を披露したという。
 ますます多方面に活動の場を広げている加耒さんに、お話を伺った。

―ご実家が幼稚園という環境で育たれたそうですね。音楽との出会いはどのようなものだったのでしょうか。

 父が幼稚園の園長をしていて、幼稚園の2階が自宅でした。1階に降りれば子供たちがいたので、いつも遊んであげていましたね。教会付属の幼稚園で、父は牧師でもあったので、毎週日曜日は自宅の下にある教会に通っていました。
 子供の頃、最初に習った楽器はヴァイオリンでした。始めてすぐ、ヴァイオリンの先生になりたいとはっきり思ったことを覚えています。もともと園児たちに遊びを教えてあげることが日常だったので、レッスンで先生がヴァイオリンを教える様子を見て、こういうことができたらおもしろいだろうと思ったのです。教えるためには自分もヴァイオリンを弾けなくてはならないというのが、練習のモチベーションでした。
 不思議と、自分が舞台に立つ姿よりも、教えているところのほうがはるかに簡単に想像できました。

当時の住まい(幼稚園・教会)

幼稚園・教会のすぐ裏にあった海岸

―では、「アラジンと魔法のヴァイオリン」のような子供向けの公演は、加耒さんにとってとても自然なものだったのでしょうね。

 はい、とても楽しかったです。驚いて声をあげたり、悪役を倒せと応援してくれたり、子供たちの反応はとてもオープン。音楽を通じて子供達のアトラクションになれていると感じられる、貴重な体験でした。
 もともと普段から、子供が近づいてくることが多いんですよね。一緒に遊びそうな雰囲気が出ているのかもしれません(笑)。

―今回は、オペラとはまた違う演技の経験をされたと思いますが、いかがでしたか?

 オペラではほとんどのセリフがメロディに乗っていますが、今回は改めて、普段そのことにどれだけ助けられていたかを感じました。お芝居では、セリフとセリフの間が無音になるわけで、その全てを、自分の存在や相手との対話の空気で埋めなくてはいけません。今回は俳優さんたちと共演する中で、そのあたりの技術など、多くのことを学びました。
 また、アラジン王子という、ちょっとわがままでテンションの高い役柄も新鮮でした。普段バリトンは、王子様役を演じることがほとんどありませんからね。でも今回は公演数が多いので、回を重ねるうちにアラジンのキャラクターがなじみ、セリフや歌詞も成長していく手応えがありました。
 あと、ヴァイオリンは子供の頃からやっていた楽器なので、アラジン王子がヴァイオリンを弾くシーンで経験を生かすことができて嬉しかったです。プロのオーケストラの前で弾かなくてはならないことに、最初は緊張しましたが(笑)。

日生劇場ファミリーフェスティヴァル2019/『アラジンと魔法のヴァイオリン』アラジン王子
(2点とも 写真提供:日生劇場 撮影:三枝近志)

―ヴァイオリンからスタートして、どのようにして歌手を目指すようになったのでしょうか?

 ヴァイオリンの他に、中学からはブラスオーケストラ部でサックスとオーボエを吹いていました。弦楽器と管楽器を経験したことは、和声や音程の感覚を身につけるうえでとても意味があったと思います。
 いろいろな音楽に興味がありましたが、高校生の頃、東京藝術大学の声楽科を目指すことに決めました。一度目の受験はうまくいかず、浪人中は、アビスパ福岡のホームでの試合を全試合観るというサポーターとしての意気込みを見せて過ごしました(笑)。とはいえ、さらに1年そうしているわけにはいかないと思っていたところ、2度目の受験で無事合格。これで音楽を続けていく道がひらけたと安心しました。

中学ではブラスオーケストラ部に所属

 そうして福岡を離れ、大学生活が始まりました。声楽科の学生はみんな個性的でおもしろく、私もリラックスして音楽に向き合うことができました。東京はコンサートが圧倒的に多いので、学生チケットで頻繁にオーケストラを聴きにいきました。この生の演奏を聴く経験の積み重ねは、とても重要だったと思います。そして、歌の道に進もうと決意したのは、学部の終わり頃でした。

―さらにバリトンと決めたのはいつごろですか?

 大学に入ったばかりの頃は、まだ声をつくっている段階でした。私は細身で話すときの声が比較的軽いので、周囲からはテノールの方がいいのではないかと言われることもありました。しかも、同級生で現在テノールとして活躍している山本耕平君や又吉秀樹君が、次々とバリトンからテノールにあがっていったので、「次は加耒くんだね」なんて言われて。
 でも、私自身は高い声を追い求めることには関心がなく、低い声でいろいろな声質を操り、キャラクターを増やしていくことに魅力を感じていたので、最初からバリトンと決めていました。迷ったことは一度もありません。

東京藝術大学の「メサイア」ではソリストとして出演。