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ピックアップアーティスト Vol.50 城 宏憲の今

Interview | インタビュー

―本年1月の新国立劇場『さまよえるオランダ人』では急遽エリック役を演じられました。初役、しかも初ワーグナー作品だったと思いますが、いかがでしたか。

昨年の12月初旬、新国立劇場の大野和士芸術監督が開催された試聴会に参加しました。まさか年明けのいくつかの公演の招聘歌手が来日できなくなるとは思わずエントリーしたわけです。オペラのレパートリー表を提出し、アリアをどれか一曲だけ監督の前で披露するんです。これまでに何度か声を聴いていただいていましたが、この時は、マスネの『ウェルテル』のアリアを歌いました。歌い終えると、大野監督が僕の声を褒めてくださって、近くに椅子を持ってきて座るように言われたんです。「これは、何かあるぞ!」と、期待と不安で胸が一杯になりました。大野監督の話では、新年の『さまよえるオランダ人』エリック役をやってみないか、オミクロン株関係の入国制限で招聘キャストの来日を断念することになるかもしれない、もう日にちもないが、ワーグナー・テノールのデビューにはぴったりの役だからとのお話でした。
青天の霹靂(へきれき)とはこの事でした!フランス語のアリアを歌ってワーグナーの仕事をいただいたのですからね。しかも公演は翌月に迫っています。「大変嬉しいお話ですが、まずは楽譜を見てみます。お返事はその後に…。」僕は興奮を抑えてそう伝えるのが精一杯でした。すぐに全幕を楽譜でさらってみると、エリックという役が、物語の目線や言語の違いはあれど、ウェルテルと立場が似ている事が分かりました。片思いの一途な愛、そして、破滅……。ウェルテルは自死し、エリックは最愛のゼンタを失ってしまう。結末は違っても、どちらも愛の悲劇なのです。それを知った時、大野監督の洞察力の深さに舌を巻きました。そして、これは後から知ることになるのですが、『魔弾の射手』のマックスと同じく、エリックの職業は(漁師ではなく)猟師、山の男なのです。『さまよえるオランダ人』は、ほぼ全編が海にまつわる話。そこに異彩を放つエリックという役は、そこから続くワーグナー・テノールの系譜の試金石となっています。海を知らなかった岐阜県出身の山の男は、勇気をもって荒れ狂うワーグナーの音楽の海に飛び込む事になりました。
これまで、主にイタリア語とフランス語を主戦場としていた僕の声は、おそらくドイツ語オペラでは異質に響いたことと想像します。しかし、逆にその特質が、純真にゼンタに恋をするエリックという役を表現する格好の材料となり得たのでした。また、代役で舞台に立つという経験は人生の転機で何度も訪れていましたので、初役とはいえ準備を整えるまでにかかる日数は日々短くなっていると感じました。『さまよえるオランダ人』はワーグナーの他の作品に比べれば演奏時間の短い作品ですので、オーディションの2週間後、つまり年末にはエリック役をすっかり暗譜している自分がいました。
しかし、それでも足りないのはドイツ語オペラの経験値。無駄を省き、まろやかに仕上げていく香り付けの作業、これは、劇場の音楽スタッフの力添え無くして、簡単に出来るものではありませんでした。例えを上げればきりがありませんが、一つここでご紹介できるのは、感情が高まる時にドイツ人は「j」の発音が濁る時があると教わりました。ただし、毎回そうなる訳ではありません。早速、音源で確認して、そのように演劇的に優れた演奏を残しているテノールを探しました。それは往年のヘルデン・テノール、ヴィントガッセンでした。今回初めてエリック役を担う上で、劇場での効果的な子音の捌き方、ワーグナー・ロールに求められる明瞭なその発音・発声は、バイロイト歌劇場でのライブ録音を参考にしました。オペラ研修所で育った自分が、人生の帰路において影響を受け学びを得るのは、新国立劇場を含めた世界各地の「劇場」の存在そのものなのかもしれません。

2022年1月 新国立劇場『さまよえるオランダ人』
(写真提供:新国立劇場/撮影:寺司正彦)
外国人招聘歌手に代わり抜擢されたエリック役

―国内の第一線で活躍する今も、努力を欠かさず学び続けているんですね。それでは、そんな城さんの今後の目標を教えてください。

今振り返ると一本の糸で繋がっていると感じる、過去、現在、そして未来の運命。父もなく育ったかつての自分が、その響きに心を救われた声楽という唯一無二の楽器の魅力、それをこの先もずっと追い求めていきたいですね。その為には、いつでも跳び上がれる竹のようにしなやかな「体」を持ち、ビロードのように艶やかな「声」に包まれ、何事も恐れない情熱的な「心」の炎をいつまでも燃やし続けていなければダメです。もっと言えば、この身ひとつで様々な言語や文化、時代を生きた困難な人々の代弁者となろうというのであれば、広い世界を知る「勇気」も決して忘れてはいけません……。

―声楽科は身体が資本ですからね。その高い目標のために、テノール歌手として特に気をつける事などはありますか。

今更ですが、テノールの魅力ってスリリングな事なんです。つまり、怖いんですよ。高音を出しているときは血圧も高いし、そういう意味でも常に綱渡り。スピント(重量級)のテノールのアクートなんて、正に命懸けです。でもそれが決まれば拍手喝采、新たなヒーロー&スターの誕生です。
僕が演じてきたテノールって『トゥーランドット』のカラフや『ドン・カルロ』みたいな王子役や、『アイーダ』のラダメスや『カルメン』のドン・ホセみたいに恋に悩む軍人役が多いんです。でも、ちょっと重めのテノールって時にはそのカリスマ性を悪用して(!?)憎まれ役を任される事もあります。『蝶々夫人』のピンカートンや『カヴァレリア・ルスティカーナ』のトゥリッドゥ、『ノルマ』のポリオーネが代表格でしょうか。これらのテノール役には共通点があって、悲劇のヒロインを口説き落とした後に、決まって他の女性を求めて立ち去っていくんですよね。正直、色恋にばかり軽薄な面を見せる彼らを、悪役と呼ぶかは分かりません。バリトンでも同じ事が言えると思いますが、運命の原動力になるこれらの役、不幸の種を蒔く男というのは、浅はかな外見に反して実はその内面を深く正確に描くのが本当に難しくて、お客様を納得させて演じ切るには人一倍の根気が必要なんです。心身共に成熟するにつれてやっと、これら言わば「運命の男」に対峙し、その危険な性(さが)を表現することへの迷いは無くなりました。そして、自業自得とも言える時に悲惨な最後を迎えるこれらの役の運命を、最後の一息まで演じ抜こうと思えるようになりました…。
ところで、そんな僕個人の運命はどうなのかと言うと…4人の子供の父となるように定められたようです。現在、一番上の子が15歳、一番下が2歳です。舞台上では時に悪い父親役を演じますが、舞台を降りれば即座に子供達を愛撫し、育む生活をしているのです。

母校の記念式典で子供達に囲まれて歌う、幸せなひと時

―家族の存在が、輝かしい現在の活躍を支えているのですね。

絶え間ないこの歌手生活の中で、妻と共に子供たちに囲まれる安息の時間は、何の疑いもなく幸せだと表現することが出来ます。しかし、最も肝心な事はこの幸せな時間の先に、人生をかけて見つけた「勇気」と「挑戦」の精神を、次の世代、未来の若者に分け与え、受け継ぐ事です。
幼い頃、舞台の上に見た別世界の記憶は、僕の中で確かな命を与えられ、その可能性の翼を広げ続けてきました。成長したこの肉体を通して、未来を担う愛しい子供達にそんな経験を与えられる表現が出来れば、遠い過去と未来の隔たりはなくなり、僕は確かな今をより力強く羽ばたく事が出来るようになるのです。そんな風に生きることが出来る父親に、男に、テノールに僕はなりたいのです。