2008年06月27日のエントリー

「ムジークテアター」  オペラの制作現場からーその15

 ベルリン・コーミッシェ・オーパは旧東独時代から原則全てのオペラをドイツ語で上演してきた歴史がありますが、その劇場を第二次世界大戦直後に創設したのは演出家フェルゼンシュタインでした。その彼が唱えたのがこの言葉です。彼は最低でも8週間の立ち稽古を行い、人間ドラマを完璧に表現できるまで徹底的に歌手達を鍛え上げたのです。この劇場でフェルゼンシュタインの助手として直接薫陶を受けた日本オペレッタ協会の寺崎裕則会長によれば「歌芝居」という表現になりますが、その著書「音楽劇の演出」には、それまでのオペラを「装置衣裳付き独唱会」としたフェルゼンシュタインの演出哲学が詳しく述べられています。〈従来の、「耳と目の悦楽」に新たに「心」を加えた。「心」とは演劇的な面、ドラマの部分である。観客は、オペラに「耳と目の悦楽」の他に、「心」の悦楽があることを知った。〉とあります。
 二期会は、創立50周年記念事業を契機にして幾つかのドイツの歌劇場と国際共同制作に取り組みました。これらのプロジェクトで起用した演出家は何れも欧州でも有数の評価を得ており、しかもこのドラマ重視の流れを組んだ方々だったため、我々は二期会オペラの制作を通じて期せずしてムジークテアター流オペラ制作を経験できました。これは我々にとって極めて重要な経験でした
 来日した演出家に共通していたのは、歌っている人は勿論ですが、その歌を聞いている相手の歌手がその歌にどう反応するかの表現こだわったことでした。ドラマは二人のダイアログが基本だというわけです。2分間のシーンに2時間以上をかけるのは珍しいことではなく、何度も繰り返して根気よく稽古をします。演出家自身が演技をやってみせるのですが、それを真似するだけとダメがでます。自分独自の身のこなしが反射的にできるようになるまで作り込んでいくのです。歌手は本来役者ではないので、このような訓練を受けて初めて身体で感情を表現できるテクニックを身につけていきました。
 稽古を繰り返す度に歌いながら演技をしますから、当然毎回フルヴォイスで歌うことはできません。ところが、演技のテンションはぎりぎりまで上げ、声を抜くというのは簡単なようで難しいテクニックです。身体までテンションが下がってしまうと、演技も緊張感を欠くことになります。できるまで何度も繰り返すことで、身体コントロールで集中度を上げていく濃密な稽古が、こうして1か月以上続くことになります。ただ厳しいだけではなく、演出家が目指すドラマの表現に達するまで、妥協することなく仕上げていくことの大切さを、参加した全員が共有できたことが大きな収穫だったわけです。
 このようにして出来上がった舞台は、観客の心をとらえて放しません。そこまでいけば、ドラマの時代背景が現代に変わっても、舞台装置が抽象的なものに変わっても、十分に成り立つだけの緊張感溢れるドラマが展開するムジークテアターが現実のものとなるのです。 (常務理事 中山欽吾)

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夢の架け橋 ─ 鵜山仁演出『ナクソス島のアリアドネ』開幕

ウィーンのあるお屋敷で、『ナクソス島のアリアドネ』が上演される・・・
そんな設定で幕が開けるR.Straussのオペラ『ナクソス島のアリアドネ』。
芸術至上主義の気位の高いオペラ組と、臨機応変、芸達者揃いの踊り子、道化組。
オペラとコミックと同時に上演するハメになった。舞台上で、舞台が演じられる、劇中劇の中で、見せる役者たちの素顔や本音。R.シュトラウスならではの流麗さと軽やかさの中に、どちらが現実の舞台で、どちらが演じられている舞台か、混乱していく面白さ。
ラルフ・ワイケルト氏が、熟知したシュトラウスの音楽を巧みに操る中、演出鵜山仁が仕組んだ、人間のドラマが描かれます。
劇中の劇、を見る皆様は、劇の中のお客様、
二つの世界の架け橋を、是非、観にきてください。
≪公演の模様(撮影:鍔山英次)≫
アリアドネを慰める道化とツェルビネッタたち。中央が涙にくれるアリアドネ(佐々木典子)
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自由、素直さ、可憐なきらめきが、音楽にも台詞にも凝縮された難役ツェルビネッタを、見事に幸田浩子が体現。
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最後は、高橋淳のバッカス登場で大団円。
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初日のカーテンコール
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『ナクソス島のアリアドネ』公演詳細ページをみる

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