城: ピンカートンは決して悪役ではありません。かと言って、単純な二枚目でもないんですね。改訂版ではしっかりと反省して(懺悔のアリアを歌って)、袖に下がります。実は、この役の見せどころは、そんなどっちつかずな優柔不断なキャラクターにあるのかも知れません。金払いのいい豪快な軍人でありながら、異国の女性に惚れ込んでしまった哀れな若者であり、そして、用が済んで熱が冷めればせっせと仕事に戻って、祖国で嫁さんを捕まえて長崎へ舞い戻ってきてしまうという......言うなればまさに女たらし、そして人たらし。堅実な仕事人シャープレスとは反対で、やる事が全て裏目、裏目にでて、最後はまるで自分の靴の紐を踏んで坂を転げていく様なもんです。でもね、他人事に思えないのは何故でしょう。きっとリアル(現実)にこういう人って居るんですよ。Dovunque al mondo,どの世界でもね。
クリングゾルの聴きどころについて、冒頭に「Die Zeit ist da,(その時が来た)」静寂の中、語るかのように歌います。ここの歌い方は十人十色。腑に落ちた歌い方を確立していないと、初っ端から不安になるばかりです。
次に、第1幕で何度か歌われる「Durch Mitleid wissend der reine Tor. (共苦により智を得たる純粋な愚か者)」のメロディーに、クリングゾルは替え歌で「今日は最も危険な奴を打ち負かさないとならん、奴は愚かさを盾にしているし」と歌うシーンです。この状況に及んでも、「モンサルヴァート城」で歌われているメロディーを今だに口ずさむクリングゾルって泣けてきませんか? かつて聖盃の騎士になる為の猛勉強がいまだ根強く残っているのです。「憧れ」は完全には消し切れないのです。聖なる者達を全員罠に陥れ、「聖盃を手中に収めるのだ!」と叫ぶシーンは、『ジークフリート』の第2幕でアルベリヒが「この手に指環を握り世界を支配するのは俺だ!」叫ぶシチュエーションと同じです。嘆きの叫びを聴いて下さい。
2011年2月 東京二期会オペラ劇場『サロメ』(ペーター・コンヴィチュニー演出)より ヨカナーン役
すみません、もうひとつ!
クリングゾルは、パルジファルがそこまで来たのを見ると、異常に興奮し始めます。自軍の兵たちが次々にパルジファルにやっつけられていく様子を見て、ますます興奮します。まるで格闘技を観戦しているかのように。「Bleibst mir du zugewiesen! (俺のもとに居ろ、お前に見せつけてやる!)」クリングゾルがまるで歌舞伎役者のような大見得を切って退場するシーンは見どころです。
いったい何を見せつけてやるのか?彼は根っからの悪ではありません。彼の中にも「美」が存在していたのです。その表れが、彼が去った後に登場するクリングゾルの花の乙女達です。美しい乙女達、美しい庭園を創造したのはクリングゾルです。何よりもこの場面を支配するのはクリングゾルが創造した音楽です。『タンホイザー』ヴェーヌスベルクの官能の音楽とはまた違い、美女達に見入ってしまい、聴き入ってしまいます。
清水勇磨: 規律を守り上下関係を非常に重んじている事が見てとれます。ガーヴァンを呼ぶ場面をみても(Ohn’ Urlaub)許しを得ないで出かけていった事に憤っている事からも分かるように、しっかりと騎士達をまとめている事が分かります。
また、アムフォルタスを貫いているのは“傷”の痛みが彼の中に常にあるという事です。そういう事が頭の中、また身体的にも極限的な状態にあるので(Erbalmen!)という劇的な神への懇願へと繋がるのです。
また、3幕のティトゥレルの遺骨を目にして(Oh! Der du jetzt in göttlichem Glanz)「おお今神の栄光に包まれ」という箇所の中に、明らかに彼の感情に変化が生じます。それがもはや聖杯王としての役目を果たせない位に取り乱すきっかけになると思っていますが、私には役柄全体としては人間的な優しさに満ちている役だと思います。
伊藤: やはり、クンドリの口づけにより、アムフォルタスの苦悩を得て歌う、《Amfortas! Die Wunde!》です。
1幕のパルジファルの音楽はまだ幼さも感じとれます。青年というより、少年というような。それが2幕で花の乙女たちと戯れ、クンドリの口づけにより智を得て成長し――言葉が幼稚かもしれませんが――音楽も格好よくなります!
伊藤: Carl Rütti作曲《Missa Angelorum》のGloriaです。高校3年時のコンクールの自由曲でした。11声部くらいあった記憶で、僕1人で1パート歌っていたので、とても必死にやってましたね。
音楽大学受験をきめて、僕のレベルアップも考えて、顧問の先生が選んでくれた記憶があります。高校時代、歌に興味を持つことができたのも、合唱部の顧問先生あったからなので、本当に感謝しております。
(原文)Every opera fan is madly in love with the great masterpieces of Giacomo Puccini and we are all familiar with the moving stories of Mimì, Butterfly and Tosca.
But this time we have the chance to experience live an early gem of the composer's repertoire: Edgar.
This great work is a thrilling mixture of Italian melody, Verismo vocal virtuosity, French orchestral colors with Northern-Europe-inspired plot.
Edgar was a significant step forward in Puccini's artistic journey and I'm looking forward to explore it together with Nikikai and Tokyo Philharmonic's artists.
I'm sure this opera will be a surprising discovery for everybody.
Viva Puccini!
髙橋: フィデーリアの名前の由来は、忠実、敬虔(Fedele a Dio)です。『カルメン』のミカエラに通じるような役どころと思っています。幼馴染みであるエドガールに一途で、エドガールとティグラーナが駆け落ちした後も彼を思い続けます。亡骸となって村へ帰ってきたエドガール(実際は生きていますが)に対して村人が非難しても、彼を庇い、優しく村人を説得する芯の強さもあります。
海を越え、東京とニューヨークをつなぐコンサート。今回のコラボレーションは、三井不動産株式会社様ならびに東京ミッドタウンマネジメント株式会社様が企画、主催されました。
ワクチンの普及により平時を取り戻しつつあるニューヨークですが、このコロナ禍で演奏機会を失ったMETオーケストラ・ミュージシャンズを様々な形でサポートしてきた三井不動産アメリカ様と、エンターテインメントの街 日比谷のブランディングのため、このコロナ禍でもオンライン・フェスティバル「Hibiya Festival 2021」を開催してきた東京ミッドタウン日比谷様、双方の音楽と劇場文化への厚い支援が、二つの町の音楽家を結び合わせてくださいました。
長田: 感情をむき出しにしてしまった2幕とは一転して、3幕の終盤で歌われるアリア「Cagion son io del mio dolore」では、自分を裏切った彼のことを一途な心で愛し過ぎてしまった私自身がこの苦しみの原因なんだ、とひとり静かに歌います。
この曲を最初に聴いたとき、歌詞に反して音楽はあっさりしていて綺麗なのに、どこか胸が締め付けられるような寂しさを感じました。セルセのことになると周りが見えなくなっていたアマストレが、外側から自分のことを見て最終的にあっけらかんとした気持ちでこのアリアを歌っていると思うのですが、そこには押し寄せる寂しさや苛立ちと向き合い、自問自答の末に心の成長をとげた、ちょっぴり切ないアマストレの姿も垣間見えると思います。
雨笠: 私は、2幕に歌われる「No, se tu mi sprezzi」です。短いアリエッタではありますが、彼女がひた隠しにしてきた本質や人間臭さが見える曲だと思います。
この曲は姉の恋人であるアルサメーネを手に入れるための策略が失敗に終わったときに歌われます。
「たとえあなたが私を軽蔑したって、死にたいとは思わない。私の美しさを持ってすれば、新しい恋人なんていくらでも見つかるわ」
と歌いますが、言葉とは裏腹にその旋律は縫うように蛇行したり、跳躍が見られたり。なかなか歌いにくい旋律です。ここに彼女の隠しきれない本心が現れているように私は感じます。最後はムキになって爆発してしまうような感覚を抱いています。
プライドの高いアタランタですが、最後は弱さが垣間見えてしまう。実際にいたら、あまりお友達にはなりたくはないけれど・・・・・・どこか憎めないキャラクターが、そこで表現できるのではないかと考えています。
櫻井: 第1幕で、ロミルダに一目惚れをしたセルセが、彼女に想いを伝えるぞ「Io le dirò che l’amo」、と意気込んで去っていった後に、ロミルダはあなたの気持ちに応えるわけがない「Tu le dirai che l’ami」、と歌う曲があります。それまでセルセに対して強く出ることができなかったのですが、この曲で初めてアルサメーネ自身の強さ、そしてロミルダへの想いが表れていると思うので、とても気に入っています。
また、セルセが歌ったメロディーと同じメロディーを、言葉を変えて歌うことで、皮肉がより効くようになっているところが面白いと思います。短い曲ですが、是非聞いて頂きたいです。
本多: ロミルダとの関係や想いが表れている二重唱も大好きです。劇後半で、恋人であるロミルダと口論になり、そこで歌われる二重唱「Troppo oltraggi la mia fede - Troppo inganni la mia fede」があります。お互いに、「私の誠実さを大いに裏切った野獣の魂よ、恩知らずの心よ!」と、とても強い言葉を相手に投げつけます。二人が交互に歌いあう様子がまさに喧嘩を表現しているようで、とても面白い曲だと思います。
でもその一方で、音楽が一区切りする時の最後は二人でハーモニーを作るのです。喧嘩をしていながらも二人の仲の良さを感じることができる曲でもあると感じます。そんなカップルの微笑ましさを、お楽しみいただければと思います。